元宮監督 インタビュー 【1】
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にかスープこと二階堂和美、さやソースことテニスコーツさやによるデュオ、ご存じにかスープ&さやソース。彼女たちの「その時・その場所」を素材に編み上 げられたドキュメンタリー作品、『HARMONIES』がリリースされて、早一年。作中では、徹底してカメラアイとして身をひそめていた(でも時々、レンズを拭い たり、声の出演をしたり)、監督・元宮省吾。にかさやの活動に帯同するなかで、また『HARMONIES』の長い時間をかけて行われた編集作業のなかで、元宮監督 は何を思い、何を考えたのか。リリース一周年を記念して、存分にお話をうかがいました。 時に饒舌に、時にとりとめなく語られるその内容は、「音楽と映像」のあいだで、「物語と記録」のあいだで、「一回性と普遍」のあいだで、終わりの見えない 格闘を重ねた監督ならではの、深くて濃いぃものになりました。そしてまた、元宮監督が見つめた「その時・その場所」をとおして、にかさや二人が過ごした 『HARMONIES』の季節が、活き活きと、可笑しみにあふれてよみがえるかのような。ゆっくり、じっくりとお読みください!
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あらためての質問なのですが、最初はにかさやの花やしきのレコ発をDVDにしようという企画だったのが、どうしてドキュメンタリー映画という形でのリリースになったのでしょう。
<元宮>
最初に話が合ったのは2005年の秋頃、なんともう3年以上前ですか、さやさんから突然電話がありまして。
「今にかちゃんて人と一緒にユニットやってるんだけど、今度浅草の花やしきを借り切ってライブをやることになったので、それを撮影してくれない?」という話をされました。DVDにして発表したいから、と。で、いいよ、と。
・・・少しさやさんと自分との関係についても話しておきましょうか。そのほうがきっといいですね。
ぼくは大学時代ある音楽サークルに入りまして、そこでさやさんとテニスコーツの植野さんに先輩後輩として出会ったんです。二人は今でも大分奇妙な感じですけど、当時は今よりゴツゴツしてた分もっと奇妙で、完全に他の人たちから浮いていましたが、ぼくも似た感じだったんで妙に波長があって。一時は一緒にバンドをやったりもしましたね。
二人はぼくより少し年上なので、深さにおいても広さにおいても音楽をぼくより良く知っていて、以後数年間に渡って様々な薫陶を受けたわけです。
でも、そうして二人と一緒に音楽浸りの学生生活を送りつつ、一方で映画も子供の頃から好きだったので、映像の方面に進みたいという漠然とした希望も持っていました。なので大学を出た後は音楽はきっぱり辞めて、映像ディレクターという肩書きを身につけることになったわけです。映像ディレクターってわかりますかね、広告やらPVやらパッケージ物やら、色々な映像を作ってメシの種にするという、非常に心細い稼業です。
そんなわけで、さやさんという人はぼくにとっては大学の先輩であり、友人であり、人生においても大きな影響があった人でもありますから、撮影を頼まれてすぐにOKしました。
にかちゃんとは、ライブの前日リハのときに初めて会いました。柔らかい印象のお嬢さんという感じでしたが、さやさんとがっぷり対等に組めるという時点でタダ者じゃないはずなんで気をつけなくちゃと思いました。ボーカリストとしての力量のほどはその時点で知っていましたし。
で、ライブは無事撮影できたんですが、そこから少し紆余曲折が始まったんです。
ライブ自体は面白くて、ぼくはそこで撮影した素材を持ち帰って編集したんですが、その段階で仮編集バージョンを作って二人に見せてみたらあんまり反応が芳しくなかったんですね。どこがどう気に入らなかったのかは本人じゃないからよくわかりませんが、自分たちのイメージしていたものと映像に映っている現実のステージングの間にかなりのギャップを感じたみたいでした。とにかく二人一致で、これは表に出したくないなあ、ということになったんです。
ぼくはというと、あ、そーすか、という感じでした。別に拗ねたわけじゃなく、二人がそう言うならしょうがないね、という感じだったんです。せっかく撮って編集したんだから発表しようよ、というような気持ちはあんまり無かったと思います。もしぼくがそれを強く主張していたら二人も受け入れてくれたかもしれませんが、ぼくはそうしませんでした。
というのも、告白してしまいますと実はぼく、音楽のライブ映像ってそれほど好きじゃないのです。
やっている人には悪いんですが、どうやっても記録以上のものにはなり得ない気がします。視覚的にも聴覚的にも情報としては一応満たされるけど、実際にライブを体験するときのあの興奮だけがすっぽり抜けている、というものにしか不幸にしてならない気がするんです。
思うに、多分ライブって、多くの人とリアルタイムに生起する音楽を共有することにこそミソがあると思うんですけど、その肝心のところだけが映像ではどうやっても再現できない。既に起きてしまったことを基本一人で見るわけです。だからつまらないと感じてしまうんじゃないかなと。じゃあ生中継を大勢の人と一緒に見たらどうなのか。それなら実際かなり面白くなると思います。でも、なかなかそういうことは出来ない。そもそもこれだけ映像メディアが発達した時代にライブっていう形態が生き延びていること自体がそういうぼくの考えを裏付けている気もします。
花やしきのライブにしても、撮ってみて繋いでみて正直やっぱり同じようなことを感じました。現場で感じた面白さの半分も映ってないなって。でもそれは殆ど宿命なので、しょうがないなというふうに諦めてましたね。
そんなふうな考えを元々持っていたものですから、二人にこれは作品化したくないと言われても、あ、そーすか、としか思わなかったわけです。
で、ぼくとしてはそこで話は終わると思っていたんですが、実はそこからが始まりだったんですよね。面白いもので。
二人のほうから、折角だからにかさやと映像で何かやろうと言う話をしてきたんです。まあ、すごく軽い気持ちだったとは思うんですけど。本当に折角映像をやっている元宮という人間を巻き込んだんだから、何かやれないものか、というぐらいの。でもじゃあ、何をやるのか、ということに関しては二人とも別にイメージを持っていなくて。あははは。
ぼくのほうも面白そうだなとは思いましたが、じゃあ何をやるかということに関しては別にネタがあるわけじゃなかったんです。それで三人でああでもないこうでもないと話し合いを始めたんですが、そのうちにかちゃんが「あたしたちのドキュメントを撮れば」って言い出したんです。
それを聞いて最初ぼくは「面白いことを言う人だなー」と思いました。だって普通ドキュメントって、撮る方が撮られる方に持ちかけて、往々にして嫌がられるところを何とか説き伏せるなどして撮らせてもらうものです。自分から「撮れば」っていうのは結構珍しい。でも別に、自己顕示欲から言っているというわけではなくて、にかちゃんの中にはさやさんと二人で家とかで気ままにセッションしたりしているときに自分たちのユニットの面白さが一番出ているのに、ライブのように構えた場所だとそれが出しにくい、だから映像にその様子を収めて貰うことには意味がある、というような気持ちがあったんじゃないかと思います。
で、その提案をされたとき、なんかぼくの中でぴんと来るものがあったんです。
それは花やしきのライブの前日、雨の中で行われたリハーサルでの中の出来事なんですけど、ぼくはその日もカメラを持って駆けつけていて。一応リハの様子なども撮っておいたら使えるかもしれないしぐらいの気持ちだったんですけど、いざいってみたら、3月初旬の屋外ステージなんでひどく寒いし、折から雨まで降ってきちゃって、おまけに肝心のにかさやチームは車が混んでるとかで40分ぐらい遅刻して来るという体たらくで、内心「来なきゃ良かった」と思ってたんです。
が、いざリハーサルが始まるとそこで個人的に何か非常に可能性を感じるような場面に立ち会うことになったんです。
ふたりがアルバムにも収録されている「けむりが目にしみる」を軽く合わせるという感じで歌い出したと思ったら、何を思ったか歌いながらステージから降りて、雨も気にせず客席のベンチの上を気ままに歩き始めたんです。ぼくはそれをステージ側から撮影していたんですが、咄嗟にとても良い映像が撮れるぞと思って凄く集中したのを覚えています。二人はホントに何も考えずふらふらと歩きながら歌を歌っていただけなんですが、雨が降る中を歌いながら歩くその姿はまるでミュージカルみたいで、ひとつの完成した「シーン」にぼくには見えました。それを追う自分のカメラも上手く動くことが出来て、ほんの1分程度の出来事でしたが、何か非常に充実したものが撮れたという実感があったんですね。結果的にそのシーンは「HARMONIES」の中で重要なシーンになったんですが、そのシーンを撮れたことで何か漠然とした可能性を感じたんです。上手く言えませんが、何というか、こうやればいいんじゃないの?
というような。何をこうやるのか、こうやるってどうやることなのか、そのときは全くわかってないんですが、こうやれば何かが出来る、という漠然とした予感みたいなものをはっきりと持ったのは確かだったんです。
そんなものを持ちつつも、リハーサルが終わってライブを撮影してと段取りが流れていくわけですから、なんとなくそのままになっていたんですが、にかちゃんに「あたしたちを撮れば」と言われたときに、何をこうやるのか、漠然と感じていたものが一つのはっきりしたイメージを結んだ気がしたのです。
ま、言ってみれば追うべきテーマとそれに迫るための方法的なことが何となくわかった、という程度のことなんですが。
だから「二人を撮るなら自分には考えがある」と自分から話しをして、テーマというか二人を通して自分が見つけるべきものと、それを捕まえるための方法論について少し説明した気がします。
といっても、それは本当に言葉にするのは難しいものなので、かなり説明不足だったろうなとは思いますが。ただ「HARMONIES」というタイトルがその時点で自然に浮かんで来て、自分はなんだか分からないが「ハーモニー」を撮るのだというワケのわからない思いこみたいなものだけがあったので、それをそのまま二人に対しても宣言したような気がします。
二人としては多分ちょっと不安に感じたと思いますね。なにか大げさなことをやろうとしているように聞こえたはずですから。でも、二人が不安になっているのは何となく感じつつも、そこは有耶無耶にしつつ撮影に雪崩れ込んでいきました。
今思うと我ながら我田引水というか、ちょっと強引だったかもと思いますが。信じてくれたのか諦めたのかわからないですけど、とにかく委ねてくれた二人には感謝しております。
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--- 例えば、ピッチさんが使っているのは普通の鍵盤なんですよね。
--- それはいつぐらいのことなんですか。


















