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元宮監督 インタビュー 【2】

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▼ Nika soup & Saya Source ″Harmonies″ 特集
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2:
この作品は、「元宮監督からみたにかさや」の物語ですが、ずばり、元宮さんはにかさやをどういうひとたちである、と思いながら作っていましたか?
この質問は3にも関係しています。


<元宮>

どういう人たち。うーん、どういう人たちなんでしょうね・・・。
ぼくは多分それを言葉で考えたことは一回もないんです。身も蓋も無いような言い方になりますが、つまり、ぼくは映像を使って彼女らの肖像そのものを切り取れば良いわけですから、それを言葉で再定義する必要はないように感じます。ぼくが切り取ったものひとつひとつは断片に過ぎませんが、それが重なり合って描きだしているのがつまりぼくから見た二人で、いうなれば「HARMONIES」に映っている感じの人たちでした。
音楽に関しては最初聞いたときに、クリアで可愛らしい部分と、すごくガレージっぽいというか、パンクっぽい荒々しい部分の混交が印象的でした。すごく音楽的に豊かだなとも。それは二人のそれぞれの活動にも言えることですけど。あとメレディス・モンクとかも少し思い起こしましたかね。だけどにかさやのほうがナチュラルでずっと良いと思ってます。



3:
前にお話した際に「一編の物語を編むように細部を積み重ねた」というようなことを仰っていたかと思うのですが、その編集作業がどんなものだったか、その過程を教えてください。


<元宮>

そんな美しい言い回しをしていましたか。そうですか。


えーと、つまりある程度の長さを持った映像を作るとなると、やはり構成が大事だと思うんです。ストーリーといっても筋といっても良いんですが。
そういうものを敢えて設定しないで感覚だけで撮って繋ぐタイプの映像というのもありますが、ぼく自身はそういうものはあんまり好きじゃなくて。構成を作っておくと逆に余裕というか自由が生まれるんですよね。作る方には勿論、見る方にも。感覚だけで作られてしまうと、作り手のチャンネルに見る方が合わしていかないといけなくなって、なんか疲れるんですよね。短いものは良いんですが、長くなってくると次第に、何で俺がお前に合わせないといけないんだ、という根元的な問いが浮かんでくるのを禁じ得ない。


が、「HARMONIES」の場合は、撮影前に構成を何も決めないまま撮り始めてしまったんですね。それは、それが許されたからってことに尽きるんですが。普通仕事で作る場合にはそういうことは許されません。単純に段取りの問題として「こういうものを作ろうと思っている」と一緒に作る人に説明する必要が是非ともあるので、対象についてしっかり下調べして、言葉でもって構成を書いて、それに則って撮影・編集していくというのが普通です。ドキュメンタリーでもフィクションでも密度が違うだけで、何らかの設計図を作ってそれに沿って作っていくというプロセスにはあまり変わりがないと思います。
でも「HARMONIES」ではそれをしないで済んだ。済んだ、と肯定的に言うのは、できればそういうことをしないで、いきなり作り始めたいという欲望が前からあったからです。さっき構成が大事とか、それがあると自由が生まれるとか言っておきながら矛盾しているようですが、最終的にはなんらかの構成を持つようにするんですよ。だけど少なくとも最初にそれを決めることはしない。作りながら決めていく。つまり、準備を放棄することで余裕を自ら手放してぎりぎりな感じで作っていく、というようなことに憧れていた部分もあって。
いわゆる即興撮影っていうと映画の世界では今さらって感じの言葉ですけど、自分が音楽を囓っていたときに感じた、あの瞬間瞬間選択を迫られ続けるような緊張感のなかでこの作品は撮るべきだっていうのが何となく頭にあったです。音楽の映画だから音楽のように撮るのだ、と。
ただ、さっき言いましたけど、漠然とした方法意識は持っていたので、それは外さないようにと肝に明じながら撮影していました。
だから撮影は本当に緊張感がありましたよ。一人でやっているから誰にも伝わらないのが切ないですけど、本当に余裕がなくてですね。基本ドキュメンタリーなんで、目の前で起きることを撮るしかないわけですが、構成を作っておくとですね、現場に行く以前に色々シミュレーションしておくものですからある程度対応もできるわけですが、そういうプロセスを踏んでないんだからもうてんやわんやですよ。しかも撮影は自分一人、カメラは一台ということも意識して決めていたんで、自分が撮りこぼすとだれもフォローしてくれない。辛かったです。二人がまた何をし始めるかわかんないところがある人たちなので。
さらに自分で自分に課したルールみたいなものがあるので、これがまた実際やるとハードル高くてですね。まあ、撮影の段階では8割方失敗したんじゃないでしょうか。あははは。カットしたからバレてないんです。わははは。


まあ、そうして失敗しつつも、いくつかの成功したシーンが撮れたわけです。で、これをじゃあ繋ぎましょう、ということになって愕然としたんです。つまり撮影の時点で構成を考えていないので、繋ぐっていったって何を根拠に繋げばいいのか。構成という形で示された完成予想図が無いのに、材料だけやたら集めてさあ家を建てろって言ったってですね。そんなもん、まともな家なんか建ちませんよ。当たり前ですよね。わかってたんですが実際に膨大な素材を前にしたら事の重大さがリアルに感じられて焦ってるんだからバカですよね。


それと、構成のあるなしとは別に、この作品における特殊事情というのもあって。つまり二人はユニットですから、常に一緒に活動しているわけではない。ときどきお互いの時間が空いたときに会って、その時点でできることをやるって感じの、いわゆるバンドとかに比べたら淡泊な関係です。しかもにかさやの場合、ユニットとしてのピークは多分あの「イピヤー」っていうアルバムを作っているときに既に来てしまっていたんだと思うんですよね。あの後の活動というのは、だからどこか目標を失って、ふわふわしていた感じでした。それでも撮影を始めた時期にちょうど外の方から「ほうほう堂」というダンスユニットさんとコラボするという企画が浮上してきたので、それに取り組むことでもう一度明確な目標を持ったという流れがあったように思います。
で、撮影も一応そのコラボ企画を実現するための活動を追うことから始めたんですが、やっぱりどうしても活動が不連続になりがちというか、ぶつ切りになってしまうんですよね。
だから素材となる映像はたくさん撮れはするんですが、今ひとつそこに明確な文脈が見えてこないというか。そういう難しさもありました。


もちろん自分も一応職業人として場数は踏んでいますから、このままじゃ難しいことになるぞって、撮影しながら充分すぎるほど感じてはいたんですが、いざ編集に入ってみたら予想以上に難しいことだったというか、本当にジミー大西みたいに頭を掻きむしりたくなるほど困り果てました。


そこからご質問の「細部を積み重ねる」っていう作業がですね、始まったわけです。前振り長くて申し訳ないです。
細部を積み重ねるっていうのは、要するに、現実の出来事というのは連続性を持っていますよね。因果、というようなことですが、だけど撮影というのは連続した出来事をいつまでもとり続けるわけには行きませんから、それって永遠に終わらないので、ある時点で回し始めて、ある時点で止める、ということを選択しないといけないわけです。で、そうすると当然本来あった連続性というのが見えなくなって、それぞれに関係が、あるんだろうけどはっきりとはそれが見えない、というような場面のストックがやたらと集まるということになってくるんです。構成を事前に決めておくというのはこの混乱を避けるための方策であるわけです。
またテレビとかだと、構成を決めて作った上で、最終的にその不可視の連続性をナレーションで堂々と説明しちゃう。「そして次の日…」みたいな感じで。見えないんだから説明すればいいじゃん、というワケで、安易といえば安易な方法で繋ぎ直しちゃうわけです。しかしぼくはそれはやりたくなかった。その方法自体は否定しないけど、今回はそうじゃないやり方でやるべきだというふうに思いこんでいて。
だけど、一見バラバラのこのシーンの集積をでは、どうやって繋ぎ直すのか。時系列に繋げばいいというもんでもない。となると、これはもう、それぞれに新たな関係性を見つけて再構成していくしかないわけです。これがやってみるとすごく難しかった。AとBの間に何らかの関係性を感じてくっつけてみる。すると確かに繋がるんです。でもそこにCを付け加えた途端、崩れてしまったりするんですよね。面白かったけどとても難しかった。


その作業を始めてから、ひとつの指針になるものが欲しいと思ってやったのがあのインタビューです。あのインタビューは何か聞き出したいことがあってやったというものじゃないんですよ。ただ単に言葉を貰いたいと思って。言葉はどんなものであれ文脈を構成するじゃないですか。だからその色々な言葉を貰うことで、それぞれは一見無関係なシーンとシーンをある種の文脈で繋げる接着剤の役目を果たしてくれるんじゃないかと。そういう淡い希望を抱いてやりました。
でインタビューをしてみたら、予想通り色々な言葉が貰えたので、まずはそのたくさんの言葉同士をばらしたり繋げたりして、それらがある文脈を、一本の作品をまとめるのにふさわしい構成を獲得するまで何度もトライアンドエラーしながら二ヶ月くらいそればっかりやってましたかね。で、なんとなく、構成が見えてきたんですよ。
そこからまた膨大なシーンのストックに戻っていき、インタビューの言葉が形取った構成をベースにシーンを繋ぎ合わせる作業をやりました。多分半年くらいかかったと思います。まあ、ずっとそればっかりやってられる状況にもなかったので断続的にですが。


でも考えてみれば、インタビューがあってその合間に色んなシーンが挟まっていて、という構造は全然珍しくない、というか極めてノーマルなドキュメンタリーの作りなんです。ただ、ちょっと違うのは、さっき言ったように通常は最初から作り手が考えた構成があって、それに則ってインタビューも行われるし、他のシーンの撮影も行われるわけで、ドキュメントといってもかなり予定調和的になりがちです。そこにさらにナレーションが加わって色々説明しちゃうと、すごく分かりやすくはなりますが、すべてがすっきり収まってしまって、現実が持っている複雑さのようなものが失われて嘘っぽくなるような気がするんです。
だから今回の場合は、素材を集める時点では自分の意図のようなものをできるだけ排除して、インタビューもとりあえず色んなことを聞いてみて、そうしてたまたま集まった現実の断片から時系列とは違う別の関係性を見いだして、それがやがて一個のフォルムを形作るような、ちょうど即興によって生み出された音の断片がいつの間にか噛み合って一つの大きな曲になるような流れを作って行こうと意図してやったわけです。
それが成功したか失敗したかは自分ではよく分からないんですが、流れとしてはそういう感じでした。伝わったでしょうか??


付け加えると、そうして編集した後に二人に見せたら、やはり色々な反応があったんです。ぼくが捉えた二人の肖像と二人自身の自意識というものの間には当然ズレがありますから、あそこはカットしたいとかインタビューは取り直したいとか、色々な要望がやっぱりありました。それは別にわがまま言っているとはぼくも感じなかったです。当然だよねと。
でもぼくは理解はできつつも申し訳ないけど応えることはできなかったです。つまり一個一個のシーンや言葉がかろうじて繋がってひとつの全体像を結んでいるわけですから、どれかを抜いたり、撮り直したりしたら壊れてしまうという恐怖がぼくにはあったんです。なので、最後の最後は言葉を尽くして説明して押し通させてもらいました。それはもう、これで二人から嫌われてもしょうがないという気持ちで。まあでも別に嫌われはしなくて、最後は委ねてもらえので良かったです。


できれば、そういった明確な意図で配置された細部の例をいくつか具体的に教えて頂けたら、すでに視聴済みの方ももう一度作品を楽しめるのではないかなーと思います。Harmonies再発見、みたいな感じです。


<元宮>

一例としては、例えば明日館でのライブで「今日を問う」を歌っているにかちゃんが撮れますよね。で、全く別の時に山口のカルスト台地の草ぼうぼうの丘を登っていくにかちゃんが撮れます。あれはほうほう堂とのコラボ作業の大詰めのときで、公演の舞台となる山口の国際芸術村に籠もっていたときに息抜きで行った場所でああいうことがあったんですが、この二つの出来事の間には直接的な関係性はまあないわけです。
一方でインタビューをするなかで、にかちゃんの中にある強いプライドのようなものを感じさせる幾つかの言葉が出てくる。
そこでこの言葉の後に、「今日を問う」のライブシーンを置いて、さらにその後に、丘を上っていくにかちゃんを繋げてみると、一連の流れからにかちゃんという人の独立性というか、秘めた強さとそれを裏打ちする力、みたいなものが見えてくる気がするという具合です。

この強さは、まさに強いがゆえに、さやさんというもう一つの強さと少し衝突したりもするように見えるんですが、それが調和すると雨の中の「煙が目にしみる」の場面のようなシンプルだけど完成されたひとつの音楽になりうる、でそれはやっぱり人を感動させてしまって、みんな拍手してしまう、みたいな感じでしょうか。こんなこと説明していいんだろうか。





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